黄色コスモス
こんにちわ、
愛犬と散歩の時、いつもの公園に行ってみると今年も咲きました。
黄色コスモスの花。

コスモスというと秋の花という印象がありますね。
とても秋とは思えない猛暑が続いていますが、それでも咲いてくれました。
かわいらしい、幼稚園の園児の帽子のような色の花です。
実はこの花、胸を痛める思い出がありまして。
愛犬”彼女”の前に飼っていた”彼女”。
名前は”ハッピー”です。

パピヨン犬で、私の事が大嫌いな女の子!
凶暴で、私はいつも手足を噛まれて出血していました。(それでも私は可愛がっていたつもりだったのですが。)
しかし七年前、まだ十一歳で病にかかり亡くなります。
亡くなる瞬間、けいれんしながら苦しむ姿をどうしようもなく看取る私。
そして動きが止まり、目の色が精気の無い色に変わっていく・・・。
私は、泣いていたのでしょう。
気が付いたら床と顔がぐしょぐしょに濡れていたことを覚えています。
私は、あの子に何もしてやれなかった。
その思いだけが溢れ、止まりません。
なぜか、「ごめんね」と繰り返し言い続けていました。
あの子が生きた最後の日、あの子と一緒に見た黄色コスモスの花。
とても綺麗な、でも悲しい思い出の花です。

少し涼しくなりました
こんにちわ、
名古屋はやっと、今日35℃を切りました。
曇り空がこんなに美しいと感じるのは初めてです。
あぁ、冬の雪山が懐かしい。

懐かしいと言えば最近久しぶりに聞いた言葉があります。
「やっとかめ」
アニメの八十亀ちゃんだったかな。
「なつかしいなぁw。」
昔、ご年配の方はよく使ってました。
名古屋語ですね。(いや、名古屋弁!)
今では、名古屋の河村市長しか使ってないような・・・。
私の幼少の頃は、喫茶店に入ってきたマダムは口をそろえて申しました。
「にーちゃん、ひゃっこいコーヒー!」
この地域のご出身ではない店員さんには通じません。
「ひゃ、ひゃっこいコーヒーとは?」
「ひゃっこいはひゃっこいだがや、あんたしらんか~」
「あたしゃ仕事でえらいから、はよもってきて~」
通訳します。
「店員さん冷たいコーヒーくださいな。」
「かしこまりました。アイスコーヒーでございますね。」
「そうよ、おいしいアイスコーヒーをお願いね。」
「わたし、お仕事で疲れているから少し急ぎでお願い♡。」
となります。
最近の名古屋では聞かれなくなりましたね~。
で、つぎに「やっとかめ」
なつかし~
これは50年くらい前に耳にしたのが最後でしょうか。
やっと亀、やっと噛め、やっと瓶といろんな説がありますが。
こう使います。
「あれ、もしかしてあんた、同じ小学校だった○○ちゃん? 久しぶりw やっとかめだがね~。」
「ほんと! △△ちゃん綺麗になって、やっとかめ~」
想像ですが、やっとあえた+なんにちかめ~ でやっとかめ? かなと?
(おいおい疑問符おおすぎ。由来とか少しは調べろ!)
古き良き名古屋弁、信長や秀吉が好んで使ったという説もあるとかないとか。(だから調べろ!)
東京弁や関西弁は生き残っているのに最近耳にしてない名古屋弁は生き残れるのか?
私は残りの人生をかけ、名古屋弁を後世に残すことに専念いたします。(すみません、どうせ挫折すると思います('ω')ノ。)
エブリィのお話
こんにちわ、
前回、愛機のノートパソコンのお話、お読みいただきありがとうございます。
そのことで、ふと気が付いたのですが愛車エブリィはもっと付き合いが長いよなぁ、いつだったけ?

どれどれ、軽自動車エブリィのダッシュボードから車検証を引っ張り出して見てみると
”平安20年10月29日”とあります。
平安時代ってエブリィあったのか~、ていうか自動車、内燃機関とか燃える水もあったんだ。
良かった~(笑)
そんなわけあるか~。
老眼で見間ちがえました。
平成ですね。
もうすこしで毎日オーパーツを乗りこなして日常を非日常にしてしまうところでした。
話を戻します。
えーと、平成20年は西暦で2008年。
今から16年前ですか。
意外と最近ですね。
エブリィが16年経過しても壊れたのはラジオだけです。
その壊れ方も変わっていて、AM放送だけ聞こえなくなりFM放送はバッチリ聞こえるという変な壊れ方(^^;
壊れかけのラジオ そのまま使ってますw。
走行距離は、たったの19万キロ。
まだまだ先は長い、頼りにしてるぜ、相棒!

愛機との別れ
こんにちわ、
暑いですね。
名古屋は連続22日猛暑日、しかも只今更新中です。
アスファルトの道路、50℃以上はありそうですね。

愛犬の散歩、日の照りつけるアスファルトは肉球が火傷しそうなので、抱っこしています。
日の当たるベランダに置いたサンダル、熱くて履けませんでした。
いつまでこの暑さが続くのでしょうか。
そして暑さのせいでしょうか、愛機のノートパソコンの動きがおかしい。
たまに、キーを押し続けられる様な症状が出ました。

長年愛用のノートパソコン、OSもWindows10にアップデートして使い続けてきました。

裏のラベル出荷年月は13年前。
「Windows11には古過ぎてアップできないしなぁ。」
残念ながら買い替えるしかなさそうです。
「長年ありがとう、お世話になったね。」
愛機にもし心があるのなら、幸せな生涯だったと思ってあげたいです。
ザンゲ
こんにちわ、
今日はザンゲします。
前々回、ベンツがどうのとか、ドイツ車興味ないんで・・とか。
すみません。
正直、軽自動車のエブリィを運転してると横暴なメルセデス(マナ悪ベンツ、愛知県だけだと思いたい。ほとんどウィンカー出してないじゃん!)
でも、メルセデス運転している皆さんをひとくくりにしたことは反省しています。(あとドイツ製の車を"興味なし”と言ったことも)
他の地域にもマナー良好のベンツさんは、沢山いるはずですから。
ベンツは良い車です。良い車だからこそ、良いマナーが映えるのです。
私は物や道具にも心があると信じています。自動車も同じです。
犬や猫にいい加減な躾をしたら、どうなりますか?
周りに迷惑をかけることでしょう。
車も同じです。
車の躾は、運転者次第です。
軽自動車だろうが、高級乗用車だろうがマナーやモラルを守らないと・・・。
おっと、これはゴールド免許を逃した自分自身に反省の意味でシミますね。(笑)
運転免許の更新
こんにちわ、
この前、運転免許証の更新に行って来ました。
私の住居から一番近い名古屋市天白区平針の「運転免許試験場」です。
最近建て直され、とてもキレイな建物になっていました。

私は「今回の免許更新でゴールド免許!」と勘違いしていました。
以前は三年ごとの免許更新で三年間無事故、無違反ならゴールド免許だったようですが・・・。
現在は五年なのですね。
四年前に一時停止違反で切符を切られた私。
「あれ?停止線前でブレーキ踏みましたよね。」私
「いえ、タイヤが回っていましたから。」おまわりさん
「・・・。」私
それまではブレーキさえ踏んで減速し、安全確認できていればいい。と思い込んでました。
その直後は少し理不尽さを感じましたが、後になり違反切符を切られて良かったと思っています。
あれからは、一時停止で確実に停止するようになり。
しかも、以前よりも安全に気を配れるようになりました。
もしあの時、違反切符を切られていなかったら、いつか事故を起こしていたかもしれません。
ありがとう、おまわりさん。
話を戻して免許更新でしたね。
現在は、完全予約制になってました。
スマホで日時を予約し、予約完了のQRコード画面をスクリーンショットします。
それを受付機のバーコードリーダーにかざして受付しました。
「時代は変わったなぁ」
アナログ全盛期を生きてきた私には変化におどろくばかりです。
視力検査、免許証の写真撮影と進み最後の講習を受けます。
講習の最後に一人ずつ新免許証を渡すとのこと。
講習が終わり免許証の配布が始まりました。
しばらくすると私の名前が呼ばれました。
免許証を受け取ります。
「ありがとうございます。」
私の免許証を配っていただいた講師の方が、少し笑っているようにも見えました。
「?」
よしよし免許証の名前、住所など間違いや誤字は無いですね。
しかし大変なことに気が付きました。
「なんじゃこりゃ!!」
写真を見ると右の頬が引きつっている!
顔が左右非対称のとんでもない写真でした(TT;
「これを見て笑ってたのか。」
さすがに誤字脱字ではないので
「写真を撮りなおして」とは言えず帰路につきます。
知人に見せると案の定、大笑いされ、
「ブ男がハイパースペシャルされてる。」
と意味の分からないことを言われる始末。
ひどい、次の更新まで五年間、この写真なのか~~。
写真撮影したおまわりさん、この写真でいいか聞いてよ~!
八月六日
こんにちわ、
日経平均株価、本日も乱高下激しいですね。
三日で七千円以上下げて、本日は三千二百円程の戻しですか。
テレビのインタビューで
「ベンツ買えるくらい損した。」って人いました。
すみません私、ドイツ車はあまり興味ないので悔しさが理解できません。
私はどんなに暴騰しようが、どんなに暴落しようが、投資は続けるつもりです。
しかし日本で戦争とか起きたら、さすがに想像を絶する暴落が起きることでしょう。
そうなったら、生きること優先で投資どころではないでしょうね。
今日は、八月六日。
七十九年前、広島に原子爆弾が落とされた日です。
私はまだ生まれておりませんが、母の話によると。
「夏休みだったので津市(三重県)の家におったが朝、空一面が真っ暗になった。」そうです。
調べてみると広島から津市までの直線距離は約三百七十キロメートル。
その空を覆う、原爆雲。
たった一発の原子爆弾が、いかに強力な破壊兵器だったか・・・。
「黒い服を着ると良いとか、いいや良くないとか、いろいろな噂が飛び交った。」
そうです。
幼少期の私のまわりは、当時の戦争を生き残った大人達でしたから、凄惨な話を聞きしました。
ほとんどが悲惨な話ばかりです。
戦友の死に方はこうだった。
俺は、あの戦線で手足を失った、それでも帰れただけ運が良かったとか。
空襲で友人はこうやって亡くなった。
南方戦線で病気で次々と亡くなっていく兵士。
無防備な野戦病院に突進してきた敵戦車の話。
艦載機の機銃掃射の避け方は小学校の先生に教わりました。
その先生の友達の死に方とともに・・・。
目の前で知人が殺され死んでゆくこと・・・。
子供の頃の私には痛烈な恐怖でした。
もう、そんな世の中になりませんように。
広島、長崎の惨劇が二度と繰り返されない事、そして犠牲になられた方々のご冥福をお祈り致します。