こんにちわ。2月なのに暖かいですね。
ほとんどの人は、春の温もりのようなこの暖かさ、気持ちが良いのでしょう。
冬から春へ移り変わる時、毎年思いだすことが有ります。
今回は、この時期になると昔を思い出す老いぼれの話を聞いてください。
もう、昭和の時代ですが、そう昭和60年くらいでしょうか、その頃は今と違い私は四輪車に興味はありませんでした。
そのかわりといっては何ですが、自動二輪車に熱中していたのです。
当時、「暴走族」というのが流行っていましたが私は嫌いでした。
自分達は自己陶酔で、「かっこいいw」とか思っていたんでしょうが、私から見ればバイク乗りの面汚しです。
正直、爆音を立てて自己主張をすることに何の意味があるのか?
(ちなみに私の所有したバイクと車はすべてマフラーは付け替えてはいません。)
私は16歳の頃からバイクに興味をもち、免許(原付)を取りました。
ホンダの原付2台を乗りつぶし、ヤマハのRZ250、DT125、DT200。
400CCは車検が有るので同じ車検が有るのならナナハンからと決めていました。
今と違い当時、400CCオーバーは検定所でしか”限定解除免許”は取得できなかったので、とりあえず、自動車学校で750CCを体験できるコースに行ってみました。
(当時は教習所で限定解除の免許を取得できるというシステムはありません。)
そして検定。なんとか受かって限定解除。
そりゃあ、もう、うれしかったです。
一回の試験で全員失格なんてのも当たり前でして・・・。
当時、合格率5パーセントと言われてましたから。
すぐに買いました、ホンダCB750F。
中古ですが、憧れのナナハン。
ほんとに嬉しかったなぁ。
でも、バカだったんです。
調子に乗って夜の大阪を走り転倒、そして廃車。
私は下手くそで、オンロードでもオフロードでもコケまくります。
でも運がいいのか悪いのか・・・。
いつも軽傷で済みました。
次に買ったのがスズキGSX1100S、俗にいう刀です。
最終生産型で海外輸出されるはずが船に乗り遅れて(ここが愛嬌がありますな。^^)
店の店頭に陳列されていたのを見つけたんです。(もちろん新車でした。)
ノーマルと違って上が赤メタリックに塗ってあるタイプでした。
排気量のデカいバイクで前輪も19インチをはいてましたから小回りが効きません。
それでも峠道とか好きなもので行ってたから・・・。
これもコケては直し、なんとか乗っていました。
その影響か、会社での話もバイクのことが多くなり2歳下の後輩も夏はバイク、冬はスキーに付き合ってくれるようになったんです。
いい奴だったんです。CMソングの真似とか下ネタとか大好きで、凄く笑わせてくれました。
彼はカワサキが好きでニンジャというバイクでした。
その彼は突然、転勤になり大阪へ・・・。
どうも彼にとっては土地柄につらい思い出が有るらしく、当時かぎりなく平社員に近い役職だった私に「名古屋に戻してくれ。」とお願いしてきました。
彼の明るい性格を知っている私は「大丈夫、すぐに馴染むよ。」といったのです。それでも彼は何度もお願いしてきます。
社長に相談しても軽く受け流されて、彼にどう説明して良いか・・・。そして。
5月20日、日曜日、彼が大阪府、箕面市にてバイクで死亡したことを 翌、月曜に知りました。
わたしがバイクが好きでなければ、 わたしが勤務地を戻すように努力していれば、 わたしがもっと親身になっていれば、 でも彼を取り戻すことはできません。
私は会社を辞め、同時にバイクに乗るのもやめました。それで、どうにかなる訳でもありませんが・・・。
2001年5月20日は、今日と同じ晴れた、暖かい日でした。